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ヌクレ落ち度(ヌクレに落ち度がある)

豊橋技術科学大学大学院を退職(修了)しましたが

太長不看

この4年間(とくに後半)当初思い描いてた100倍は恵まれた

はじめに

このたび豊橋技術科学大学大学院を退職*1したのでエントリを書きました。

高専の退職エントリはこちらです(字余り)
xxt3.hatenablog.com


編入学 (B3)

この大学は高専の5年生から学部3年生(B3)に編入学するのがメインの入口です。私もその一人です。
このときからこの大学でやりたいことは決まっていました。そのためにこの大学を選んだようなものなので*2
授業はほぼ高専の焼き直しでした。良く言えば楽、悪く言えばつまらない。私はもっと先のことについて、それをよく知っている先生方による講義を聞きたかったなあと。

B3前期は一日中必修の類の講義ばかりで埋まってました。実験もありました。レポート課題もまあまあ出ました。でも言われてたような大変さはなかったです。
喉元過ぎれば熱さを忘れるとはよく言いますが、これに関してはそうでもなく、普通にサークル活動もできたし、外に遊びに行けたしで、ちょうどよかったかなと思います。


B3後期は講義の数がぐっと減り、(わたしがそう選んだからですが) 午後から講義がはじまるような日が多かったです。これが私に悪くはたらきました。
講義が夕方からになると、じゃあそれまで寝ててもいいし、夜寝るのも遅くていいや、となりました。
また学部の頃はあまりお金に余裕があるとはいえなかった*3ので、食生活も安い炭水化物ばかりでした。
更に、豊橋の秋冬は強風が吹き荒れ、気温が示すよりも寒く、私の体力と精神力は奪われていきました。
...というのが重なり、この頃は心身ともにいちばん荒れていました。落単ギリギリまで講義を欠席してベッドにうずくまっていたのを覚えています。意思力のない人間は適度に時間がないほうが健康に暮らせるんですね。
それでもさいわい病的なまでに心身を乱す、ということはなく、なんとかB3を切り抜けました。


ラボ配属 (B4)

話の都合上B3終盤に時間を戻すと、3月上-中旬あたりに研究室見学がありました。
わたしは視覚科学(ってあまりポピュラーな言い方じゃないけど)に興味があってこの大学に来たので、見学したのもそれに関わるところでした。
まあ色々巡って考えて、4月になってすぐ、配属決めが来ました。
んで配属されました。高専のころ考えていたラボとは別です。
そちらは大規模なラボですが、私は高専で小規模なラボの空気に慣れており、また興味も心理から生理へと向いていたので、変えました。(この情報だけでラボがほぼ絞られる)
詳しくは伏せますが、指導教員の先生にはものすごーーーーーく親身にご指導をいただきました(していただいてます)。その甲斐あって卒研発表会ではいわゆるMVPをいただきました。


その後は2ヶ月の間実務訓練(インターン)をしていました。
指導教員にお願いし、自分の分野にピッタリの研究所にお世話になりました。
この経験は100%いまに活きています。


MVPをいただいたのもつかの間、先生はこういいました:
「ドクターまでいかない?」
正直ちょっと考えていた選択肢ではありましたが、頭の片隅に置いてる程度でした。
が、まさかの先生プッシュをいただいたこととMVPとで心が舞い上がってしまい、私はあろうことか二つ返事でOKをしてしまったのです。退路はこうやって塞がれていきます*4
ただし家計の問題もあるのでどうしようかと悩んでいました。
そこで私はちょうど大学で実施されていた某大学院プログラムへ応募したわけです。
これは学費や生活費に関わる経済的支援とそれ相応の教育を受けられるプログラムです。
プログラムが掲げていたテーマが私の研究にピッタリだったので、応募しない手はなかったです。
これまでとこれからの研究計画等をまとめたプレゼンをたくさんの先生方の前で発表し、痛い質問を[検閲により削除] みごとプログラムに合格、履修することになりました。


進学1 (M1)

この年がいちばん目まぐるしかったと記憶しています。
普通の大学院修士の履修科目に加え、先述のプログラムの履修科目が加わり、さらに研究も本格化 (特に春先は夏の国際学会に向けた色々) したのでてんてこまいでした。
大学院プログラムの履修科目には隔週くらいで東京へ日帰りで出張して講義を受けてくる*5ものがあったり、それとは別にほぼ毎週浜松へ出張して講義を受けてくる*6ものがあったり、お盆開けてすぐ浜松へ実験実習を受けてくる*7ものがあったり、その後あまり間髪入れずに常夏の某国*8へ2週間ほど渡って現地の大学と共同で実験を行ったり*9というものがありました。すべてプログラムの必修です。
特に海外出張はこれが初めてで、恐ろしく過密スケジュールな反面非常に刺激的でした。帰国後受けたTOEICは昨年より点数が落ちました。

その合間を縫って国際学会(ただし開催は国内)にも参加しました。いわゆるトラベルアワードをいただき、アワード受賞者と相部屋な代わりに宿泊代を全額支援いただきました。
相部屋の方は台湾の大学の方で、なかなかに陽気でした。いい5日間を過ごしました。発表では痛い質問を[検閲により削除]


...という日々を過ごしつつ、色々あって晩秋ころに研究テーマを変更することになりました。
M1の秋から新テーマを初めて、M2までで一段落つけ、M2終盤から博士にかけて本テーマへと移行する、という計画です。
前の研究テーマを名残惜しく感じつつ、次のテーマがあと1年でどれだけ進むのか心配でした。

生活に関しては、むしろ忙しかったおかげで心身ともに乱れることなく、またプログラムの経済的支援のおかげで暮らしに精神的余裕をもてて*10、いままでで一番健康に暮らせました。


修了 (M2)

まず、学振は落ちました。
取るべき科目はほぼ取りきっていたので、一日のほぼ100%を研究に費やせました。
...となるはずでしたが、例のウイルスの影響で初夏あたりまで実験がシャットダウンしてしまいました。
私の研究は計算機を回せばどうにかなるものでもなければ、テレワークで進むものでもありません。ラボに行かないと進まないです。
とはいえしゃーないので、シャットダウン中は物書きとインプットをお家でやっていました。
が、お家での作業はラボでするようにはなかなか進まないし、生活のほうも荒廃していくしで、非常によくなかったです。
これについてはいろいろと記事を書いています↓ xxt3.hatenablog.com xxt3.hatenablog.com

シャットダウンが解除されてラボに行けるようになった今でも生活習慣はこわれたままです。


夏あたり、国内の学会に出てました。本来ならば神戸に行けたのですが (行きたかった) Web開催になりました。
大規模な学会がWeb開催になるとちょっと危ういですね。
これについても記事を書いてます↓ xxt3.hatenablog.com 私の発表へのフィードバックはありませんでした。

秋あたりに初の自作PCをやりました。予算15万くらい。最高。 これも以下略↓
xxt3.hatenablog.com

12月はTUT Advent Calendarを主催しました*11。他のAdcalにも参加しました。
そろそろ自分の研究に関わる話がしたいな~~~~と思ったのでそういうのを書きました↓ xxt3.hatenablog.com xxt3.hatenablog.com


で、研究のほうはまあまあ予定どおり進みました。マジでよかった。
修士の研究と並行して、博士でやる研究の準備も進めていました。というかそちらの実験をもう始めてました。いきなり良いデータが出ました。わいわい。

博士の進学審査は、夏頃に一次、修士の発表を兼ねて二次をしました。
一次では研究計画のプレゼンに加えて受験者の英語力を試すために英文の即興翻訳が課せられ、語彙がカスほどもない私は[検閲により削除]みごと一次を通過しました。
二次は前述のとおり修士研究発表会を兼ねてました。進学者はセッションの最後に発表順が割り振られ、発表と質疑の時間も特別に長く取られていました。
発表と質疑が長いことは、私にとってはむしろありがたかったです。質疑も含めて、過不足なく自分の研究を説明できる (できた) からです。
発表会はweb会議上で開催されました。対面と違って、パワポのノート (カンペ) をガン見できたので、終始*12心穏やかでした。
そして、修士の研究に関しても指導教員にものすごーーーーーーーーーーく親身にご指導をいただいたおかげで、私は卒研にひきつづき修士研究の発表会でもMVPを頂くことができました。
色々と盛り込んだ修論は60ページくらいになりました。ここのOBである某教授は修論で100ページいってたのに比べると私はそんなもんです。
修論提出と並行して国内学会に出ました。こちらは小規模ですが分野が近い人があつまったおかげで、色々と私の発表についてフィードバックを得ることができました。参加してよかった。

卒業・修了式は代表者のみ出席、私はラボのミーティングに参加しながら式のライブストリーミングを見るという形で参加しました。ラボミーティングやってたら修了してました。


これから・おわりに

というわけで私は今年度をもって豊橋技術科学大学大学院博士前期課程を退職(修了)しました、前述のとおり同大学院の博士後期課程へ進学します。
思い返せば私は経済的にも人間関係的にも、めちゃくちゃ恵まれてここまで生きてこれました。
大学入る前は流石にD進するなんて思ってもいませんでしたし、ここまで様々なご支援とご指導をいただけるとは思ってなかったです。

で、いまは同期がみんな豊橋からいなくなっちゃって、ぼっちです。さびしいです。
来年度から孤独です。がんばります。
いまは来年度から受ける経済的支援の確保やら学振やら何やらを色々とやってます。色々やったおかげで、来年度からもまた恵まれています。
今の私はいろんなところからのご支援によって成り立ってます。ここからn (n >= 3) 年間がんばります。

そういやサークルとそれに関わる活動について書くのを忘れてました。まあTwitterで色々知っているでしょうしいいでしょう。

*1:業界用語で修了ともいいます

*2:私はこういうムーブをあまりおすすめできないです。じゃあそれが叶わなかったらあなたはどうなるの?と。若さ故にセーフティネットを考えていないというか。

*3:少なくとも精神的余裕はなかったです。

*4:こないだ出張先の先生が「どんどん逃げ道がなくなっていくね」と言っていたのが印象にのこってます。

*5:出張費が出ます

*6:出張費が出ません

*7:出張費はもちろん出ません

*8:英語が使えます

*9:渡航費とホテル代ぜんぶ出ました。

*10:これが本当にありがたかった

*11:前の担当者はどこへいったやら

*12:修士だけに