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ヌクレ落ち度(ヌクレに落ち度がある)

一関高専を退職しました

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はじめに

この度5年勤め上げた一関高専を退職*1しました。本記事ではこの5年間を振り返ります。あとで新たに何か思い出したら追記します。

(このエントリはn (n > 3) 年前の世界で書かれています。もし一関高専在学生/卒業生でしたら、自分のときと比べてみてください。)

1年生

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私は制御情報工学科に入社*2しました。実家が遠かったので学生寮での地獄の暮らしが始まりました。

寮生の1年生は3回喉を枯らします。1回目は寮のブロック長の部屋で行われる自己紹介、2回目は応援団幹部のもと行われる応援歌練習(これは寮生だけでなく全1年生)、そして3回目は寮祭もしくはクリスマス会の「芸」です。これらを見事突破したとき、晴れて寮内カースト最下層としての暮らしがスタートするわけです。

カースト最下層よろしく、寮内では学校指定のジャージのみが着用を許され、先輩を見かけたら必ず「こんばんは」等の絶叫と共に90度の「*3をするのが日常でした。1年女子はジャージでなくてもよかったみたいです。そうなると先輩と見分けがつかないので、とりあえず彼女らにも絶叫と「」をしていました。そして何かあれば連帯責任で罰が下るので、中学から育てていた排他的な精神を更にすくすくと育てることができました。

(2020/5/21追記: 社会情勢やら時の学生やらの動きがあって、今はこんなひどくないみたいです。)

部活動は電子計算機部を選びました。本格的なプログラミングは初めてで、最初は概念の理解に戸惑いましたが、だんだん難しいアルゴリズムを使ったプログラムの実装ができるようになっていくことがモチベーションとなって、楽しく勉強していました。先輩が出場する高専プロコンに応援としてついていき、そこではじめて関東を超えて九州まで移動しました。そこで食べた本格的な豚骨ラーメンをきっかけに、私はラーメンの食べ歩きが趣味に加わりました。そのせいで中学時代から20kg以上太るのは先の話。

授業は1年生ということもあって高校ライクなものが多く、加えて旋盤等の機械実習や電子工作、プログラミングなどがありました。

2年生

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左:デスク 右:壊された壁

カーストが δ (δは任意の正数εより小) 上がり、寮が三人部屋になり、そして色々とバカやれるメンバーで固まって楽しくやってました。ただし誰かに何かあると連帯責任で服装をジャージ限定に戻されるといった感じでした。

2年生まで高校化学 (の基礎の基礎) を曲がりなりにも学ぶわけですが、なんとまあ、ここで人生ではじめて、化学という苦手科目が生まれたわけです。「計算」としてはクソほど簡単なのですが、素のまま覚えなければいけないものが多い (と当時の私は考えていた) ためにまっったく点を取れなかったわけです。自己採点では赤点でしたが、ここで「ky子マジック」*4 が働いたお陰で再履修は免れました。この化学への苦手意識が大学院の研究で足かせになるのはずっと先のお話。

3年生

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左:デスク 右:式典帰りの桜道

部活ではプロコンの自由部門に応募し、書類審査落ちしました。必ずアイデアを出さなきゃいけないという環境に対し、実は全くアプリ開発の知識と経験がないというある意味矛盾した状態だったので、もし審査に通過したとしたらもっと大きな問題を抱えていたでしょう。また、会津大主催のパソコン甲子園で、競技プログラミングの本戦に出ました。名門高校の選手たちが強すぎてビビりました。他方では、有志のチームで数学甲子園の予選に参加して予選落ちしました。高校数学の図形問題の比率が多かったのに対し、高専生の我々は微積を中心に勉強してきたためそれらを全く解けず、解答はボロボロでした。正直なところ、かなりモチベーションが落ちていました。

この年度は高専プロコンが一関市開催ということで、私もプロコン委員指揮のもと大会運営のお手伝いをさせていただきました。あのときは内部がかなりピリついており (誰のせいだろう) キツかったですが、選手としての能力がないにもかかわらずプロコンへ身近に関われたのは嬉しかったです。

とまあ部活動に関してはカスのようなパフォーマンスで情けなかったのですが、学業と暮らしのほうは順調でした。3年生にもなれば寮内のカースト「人権保持者」となるため (一部の寮生3年生は1年生の指導や寮運営に関わり始めます)、気持ちが楽でした。寮の仲間にサバゲーに誘っていただいたり、取り立ての自動車免許を携え金沢まで自家用車で旅行へ行ったりと、プライベートに関して大躍進した一年でした。
学業の成績も申し分なく、恐らくこの頃から大学への編入を考え始めるようになりました。

4年生

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左:デスク 右:はい。

4年生になると、学業の殆どは専門科目となり、「高専生」としての教育が本格的にスタートしたように感じられました。ただし成績が良いのとモチベーションがあるのとは全く別の話で、特に情報系からは逃げたい気持ちがかなりありました。

4年生は夏休みの1週間ほどインターンシップを行います。私はそこでたばこ会社のデカい工場にお世話になり、ライン業務の見学と業務改善に関わるワークショップを行いました。たばこの生産ラインは私の予想をはるかに超える自動化がなされており驚きました。短い期間でしたが、とても楽しかったです。

寮ではこのあたりから一人部屋でした。寮運営の (主に1年生に対する) 体育会系なやり方にウンザリしており、そこから距離をとりつつ、かなり自由な暮らしをしていました。自分が受けてきたことと同じことを繰り返すのか、これ以上続けさせないと思うかは、属するクラスタに依るのでしょうね。

この辺りから、部活動に関してはほぼ幽霊みたいな気持ちでいました。昨年度でかなり気持ちをやられていたのと、後輩の皆様が優秀であったのが理由です。周りにはかなり苦労させたと思います...

ちなみに、一関高専では4年生まで体育があり、この年度の体力テストでは人生初の「B」判定を頂きました。運動部をガッツリやっていた中学時代からずっとCで、全く運動しなくなり太りちらしたこの体でBにたどり着いたのは、すばやさとスタミナを犠牲に、何故か得られた筋力のお陰です。

5年生

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左:デスク 右:八食センターに4人で行ったときの写真

5年生は制御コースと情報コースのどちらかを選択して当該科目を履修します。私は制御コースを選びました。理由は2つあって、①プログラミングの自信とモチベーションが潰えた ②情報系の先生へ恐怖を抱いていた というネガティブなものです。制御コースでは現代制御論やロボットの運動学、センサ・アクチュエータを学びました。2年生で学んだ線形代数の知識がここでやっと活きてきた感じです。

この年は、1年生の補修(数・英)のTAもやってました。このときの経験が今でも印象に残っており、理解レベルの格下を相手にする、という状況について考えさせられました。ただ答えを教えるだけでは駄目で、相手のレベルに合わせた教え方をする、ということは非常に大変でした。補修対象となった1年生の皆さんは、帰りが遅くなることもあり、さっさと答えだけ教えてほしそうでしたが、なんとか自力で解いてほしい、という気持ちで最後まで臨みました。あの時の彼らはいま大丈夫かな。

寮生活はもはや完全に楽しんでおり、寮内でのゲームが一部解禁となったことで、私はほぼ常にマインクラフトとFPSをしていた記憶があります。部屋が新設の離れで、かつその離れが高学年専用となり、さらに気の知れたゲーマー揃いの区画となったお陰で、気苦労が一切ありませんでした。寮の恩恵は受けつつ、気の合わない寮運営とは距離を置く、という感じで。また年度早々成人したこともあり、市内で「蔵まつり」があればがっつりと堪能し、週末にラーメンと酒を楽しんだりしていました。

そして卒業研究ですが、ここで一生を方向づけるような出会いがありました。ボスは私が今いる大学でドクターを取ったばかりの新卒の先生で、専門は視覚、特に色覚の「心理物理学」というものでした。この卒業研究で脳のメカニズムに触れるにつれて、この領域に関する興味とモチベーションが湧き、「研究をしたい」と思うようになりました。そこで私の進路希望は、ボスが元いた大学の「情報系」一択と心に決めていました。あれだけ嫌がっていた情報系を、脳に関する研究ができるという理由でまた選んだということです。

おかげさまでその大学には合格 (紙ペラ1枚で) 致しまして、もはや何の気負いもなく卒論提出まで果たし、無事退職*5したというわけです。1年生の頃40人いたクラスは入れ代わり立ち代わりあって30人くらいまで減ってました。

おわりに

駆け足でしたが、高専の5年間を振り返ってみました。高校出身の方には少し新鮮に見えたかもしれませんし、高専出身の方には一部共感いただける部分があったかもしれません。

あれから私は高専時代に志したとおり、脳研究のラボに所属し、そしてなんと博士後期課程への進学を決めております。それに伴い、私の心持ちも「エンジニアリング」から「サイエンス」へと完全に移りました。今は高専で行った「心理学」から「生理学」へとシフトし、脳が関わる「こころの現象」から、より「脳そのものの仕組み」へと研究対象が変わりました。しかしこの領域全体へのモチベーションは変わっていません。んでもって、高専から苦手だった化学 (+生物学) をいま学びなおしている、というところです。

高専で培った広い工学の技能・技術は、今の研究活動に確実に活きています。私が行う実験手法では、実験器具はDIYするのが基本です。そのため電気・電子工作はもちろん、切削機械の取り扱いや、実験システムのプログラミングも自分で行います。もしこの記事を読んでいる方がこういった工作の経験をお持ちでしたら、神経生理学研究の道もすこし視野に入れてみてはどうでしょう?脳研究は医学・理学出身だけでなく工学出身の方がたくさんいらっしゃいます。計算神経科学では制御工学の知識が必須だし、近年は脳活動のデータでディープラーニング等の機械学習を用いた研究が盛んなので、こういった進路は全く不自然ではないと思います。

と、最後に少し私の研究分野への宣伝を雑に行ったところで、本記事を終わります。読んで頂きありがとうございました。

*1:業界用語で卒業ともいいます。

*2:入学ともいいます。

*3:神前の儀式でするお辞儀

*4:神たるky子先生の見えざる手が我々を黒点へと導く

*5:卒業とも言う